何かに救われたいという思いはいつから持つようになったのだろう。
何かに救われたいという思いはいつから持つようになったのだろう。
「何かに救われたから生きていける」と思うようになったのはいつからだろう。
音楽などを聴いて、「私のことを歌ってくれている、救われる」
なんて思うようになったのはいつからだろう。
少なくとも、救われるに値するくらい今の自分に納得がいっていない時からだろう。
多様性を認めないと生きていけない。
私はその多様である人々は当然だと思うから、何も否定はしないけど、多様性を認めてくれるのなら多様性を認めない人も認める手もあるのではないでしょうか。
スマホで人を殺すことを指す「指殺人」もあるけど
私は何回自分を殺して生きてきたのだろう。
絶望している私を認めてはいけない。人はみな夢と希望を持って生きなさい。
そんなことができたらこんなに絶望することも少なかったのかな。
文面の私は死にそうですか?
実際のところ私はさらさら死ぬ気なんてなくて、さっき自分の中でとどめきれなかった苦しさを少し吐き出したから声はかすれているけれど。
実際生きる方にしか向いていないのに、それはいつだかの死に向かっている。
「思い込みが強い性格ですね」
「1つのことを続けられない性格ですね」
「言っていることが常にブレていますね」
私も嫌だよ。
私だって思い込みが少なくて
忍耐力があって1つのことをずっと飽きずに続けられて
言っていることに軸がある人間になれたらって思って
自分を認められたらって。
でも生きてくのはオシャレじゃないって。
毎日全力で頑張れて目的があっておしゃれが常にあって清潔でたくさんの人と話せていつもポジティブなんとかなるよ大丈夫大丈夫って。
いや、やっぱアンミカさん強いわ。