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「生きづらさ」という言葉はどこで覚えてきたのだろう。
自分なりの生きづらさを定義しようと思う。
「生きづらさ」
=自分の中にある何かしらの感覚をマイノリティと捉え、そこの部分が周りの環境と適応せずに自分自身の自然な感覚を貫くのが難しいと感じる部分
それにしてもその生きづらさなんて言葉は十年前よりも格段に目にする機会が増えた気がする。それはきっとSNSの影響が大きいのではないかと感じた。
SNSとは感情を共有するツールであるから、好きなことに対してはとてもポジティブな働き方をする。例えば「推しのここが好き!」という内容に共感を覚えればそれはいいね!と言う形で共感され、拡散されてそれが一部では共感覚になる。
一方で「仕事や人間関係で悩んでいる」などというネガティブな意見も同じく共感覚として成り立つこともある。
今までは共感覚だと思っていなかった感覚が実は多くの人が抱くネガティブの要素だったと1人1人の人間の声量がメガなスピーカーになることで初めて気付いたことだってあるだろう。
「生きづらい」と思っていなかった人たちがこれが生きづらさです!と提示されれば、「そうかこれは生きづらいという感情だったんだ」と気づく、発言、拡散、共感
みんなが社会の周縁にいる感覚なのだろうか?