感覚を言語化する練習

会話量なんて言葉はきっとない。

 

でも少しだけ気になっています。

私は1人っ子且つ小学校低学年から見栄とか羞恥心とか傲慢さとかで悩みとか、自分にとって都合の悪いことを親に話すことができなかった。それは大学時代まで続いていた。そんなもんだから会話量が人より少ない気がしているということです。

そう考えると、いろいろ芋づる式に自分の弱いところが腑に落ちたんです。

私は今まで外部刺激によって得た自分の感覚、感情の変化を言語化して誰かに伝えるという経験が少なかった。だから自分が不快な感覚を覚えていても、その感覚を文字化することがどうも鈍くて、親に「なんでそんなに怒られても感情がないの!!!」と逆ギレされ怒鳴られたところで、ただ不快という感覚を感じることしかできなかった。

 

だからいつも生きていても自分の気持ちがわからなかった。非言語的な感覚でしか。

 

それでも転機は訪れることになりまして。それは自分の感覚をノートに書き出してみるというもの。この行為はわたしにとってとても斬新だった。

このノートは自分以外は見ない、完全に言語が自分ひとりだけに与えられる空間だったから。今まで言葉は誰かしらに向けるものであったから、自分だけの空間ではなかった。それが自分専用に独占することができた。だからどんなに汚い言葉、感情がでてきても誰にも咎められない。

 

書き出してみると、とまらない。別に自分はそこまで考えていなかった純粋な気持ちから成る文字がするすると出てきた。不思議だった。

初めて自分の気持ちに対峙したときに、知らない私がいると思った。でもその気持ちは紛れもなく感覚で感じていた私だった。

 

さっきふと気づいたけど、小学校の頃むやみやたらに聞かれたり書かされたりした「将来の夢」に1つとして本心は無かったと思う。